株を持たない2代目社長の悩み
運送会社を経営するN社長(53歳)の父であり、創業者である会長には、ひとつの哲学があった。
「従業員たちに、会社のために一生懸命働いてもらうには、会社の株を持たせることがいちばんだ」というものだ。
この哲学により、多くの従業員が会社の株を少しずつ持つことになった。
会社立ち上げ当初から会長と苦楽をともにし、事業を支えてくれた20名ほどのベテラン社員たちが、合わせて発行株数の20%ほどを保有していた。また、N社長の叔父、つまり会長の弟も20%の株を所有していた。
そして会長を務めている父が約60%の株を所有していた。
つまり、父から社長職を譲られたとはいえ、N社長は自社株をほとんど持っていない。
会長は、ゆくゆくは自分の持ち株をすべてN社長に渡したいと思っている。
子どもがいない叔父も、株をN社長に譲る考えであった。
しかし、会社の業績は絶好調。地域経済の中核を担うまでに成長しており、株の価額は非常に高い。
2人からいっぺんに持ち株を贈与されたら、N社長は多額の贈与税を支払わなければならないのだが、そんな資金力はない。
そこで会長は「暦年贈与を使って少しずつ贈与してやる」という意向を示している。
しかし毎年110万円の控除内では、いつになったら贈与が終わるのか見当もつかない。
その間に会長に万一のことがあり、相続が発生したら、多額の相続税の支払いが待っている。考えるだけで恐ろしい。多額の相続税の支払いが待っている。
さらにN社長には別の懸念もあった。ベテラン従業員たちが持っている株の行方である。
彼らももういい歳である。遠からず、株は彼らの子どもや親族に渡るはずだ。
そうなってしまったら、会社に関係のない株主がどんどん増え、分散に歯止めが効かなくなる。
いまのうちに従業員たちの持ち株を買い取りたいが、その資金のアテもなく、さらには会長が頑として聞き入れない。
「従業員に株を持たせるべきだ」という自分自身の考えに反するからだ。
ここは専門家に間に入ってもらい、手遅れにならないうちに対策を立て、実行しなければ。
そう考えたN社長は、知り合いの経営者仲間が推薦してくれた税理士の島﨑(以下、島﨑)に相談することを決めた。
従業員の持ち株の議決権を外す
話を聞いた島﨑は「真っ先にすべきことは、議決権の分散を防ぐことです」とN社長に提案した。
従業員持ち株会をつくり、そこに従業員たちの株を集約する。
会社に在職している間だけ保有することになり、株が分散していくのを防げる。
この提案に対して、従業員たちからはなんの反対意見も出なかった。
従業員たちからすれば、株主になることよりも、収入アップが望ましい。
そのため、従業員持ち株会になり、配当優先株になったほうが、配当がもらえるので「ウエルカム」という雰囲気だった。
一方で、会長は従業員持ち株会の設立に対して、当初いい顔はしなかった。
しかし島﨑から「会長のお考え通り、従業員が株を持つことに変わりはありません」と言われ、最終的に同意したのである。
事業承継税制の範囲が拡大される
次に島﨑が提案したのは、会長の持ち株をN社長に移す方法についてであった。
「事業承継時の納税猶予制度を活用しましょう」。
一定の条件を満たしていると都道府県に認定されれば、中小企業のオーナー経営者が後継者に渡す持ち株への贈与税・相続税の納税が猶予されるという制度。幸いなことに、会社の資本金や従業員数はこの制度の対象となる条件に当てはまっていた。
だが、会長はなかなか首を縦に振らなかった。事業承継税制を適用されるには、株を譲る側が会社の代表を退く必要がある。
会長からすれば、自分が立ち上げた会社であり、会社との離別はどうにも納得できないことだったのだ。
しかし、島﨑はねばり強く会長を説得した。
「グループ会社のトップになり、そちらで力を存分に発揮されてはいかがでしょう」。
ついに会長は「分かった。その通りにしよう」と決断した。
残るのは、叔父が保有している株だけだ。暦年贈与の控除額の範囲内で少しずつ贈与してもらうことになっていたのだが、幸い、事業承継税制が使えるようになったという知らせをコンサルタントから受けた。
2018年の改正で、先代経営者以外の人から譲られた株に対しても、制度を適用することができる。
現在、N社長はこの方向で顧間税理士と話を進めている。
経営の一線を退いた父親は、さっそくグループ会社に出社して「前の会社より大きくしてやるぞ」と檄を飛ばしているそうだ。
「それでこそオヤジらしい」と、N社長も心中、応援している。